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業界動向
【2002/10/20】 【補足・新刊紹介】敦煌懸泉置出土四時月令詔條
(*先頃(2002/7/16)当サイトで紹介した敦煌懸泉置遺址出土「四時月令詔條」は、実は1990〜1992年の調査によって懸泉置漢簡などと共にかなり以前から発見されていたもので、既に中国の国家文物局によって国宝指定を受けていたことが判った。(*今、読み返してみれば、『文物』2000-5に収録されている懸泉置遺址の各種簡報に「墻壁題記」や「詔書」などとして「使者和中所督察詔書四時月令五十条」のことがささやかながら紹介されている。)これに気付かなかったのは、全く齋主の不明によるもので、一言お詫び申し上げたい。これは下に掲げている昨年公刊された報告書によって知り得たことで(資料をご提示下されたWさん、ありがとうございました)、以下、新刊紹介も兼ねて簡単な補足事項を添えておきたい。猶、7/16付の記事に関しては内容的に大過ないものとして、特に修正は加えていない。中国筋の情報は、以前コメントした放馬灘版図(下記2002/4/19記事参照)の例のように、長期に渡って御蔵入りしている古い情報が時折含まれており、利用する側は常にその真偽や妥当性の評価を自己の責任において下す必要がある。)

 
中國文物研究所・甘肅省文物考古研究所『敦煌懸泉月令詔條』(中華書局、2001)
 

この「四時月令詔條」残墻は、末尾に「安漢公  大傅大司馬[莽]昧死言……大  皇大后制曰可」とあり、安漢公王莽が前漢平帝の元始五年(A.D.5)に奏上した四季十二ヶ月の禁令を、王莽の「姑(おば)」(《漢書・元后傳》)にあたる大皇太后の制可によって詔書として頒布した体裁をとっている。基本的に各月毎に「・毋○○。 ・謂□□也。盡幾月(・○○する毋(なか)れ。 ・□□を謂ふなり。幾月に盡(つ)く)」という一定の書式に従い、[禁令]-[禁令の解説]-[禁令の有効期限]を挙げている。猶、この年の王莽は、劉歆らに明堂・辟廱のことを治めさせたり、五経・《論語》・《孝經》・《爾雅》や、逸經・古記・天文・暦算・鍾律・小學・《史篇》・方術・本草などに通じている者を招聘するなど(《漢書・平帝紀》)、新王朝を念頭に置いた新制度の整備に積極的であった。すなわち前漢最晩年における王莽への権力移行期の資料ということになる。

【2002/7/16】 敦煌懸泉置より前漢末期の環境保護法
敦煌懸泉置遺址より、「使者和中所督察詔書四時月令五十条」が記された、長さ222cm、幅48cmの残壁が発見される。これが時令(年中行事)資料なら、後漢崔寔(さいしょく)『四民月令』に先行する資料として注目ところだが、情報筋によれば、その内容は四時(四季)の禁則を告示したものといい、「最古の環境保護法」として注目されている。

― 補足情報 ―
(※実は「環境保護法」とみなす場合、類例として既に湖北省雲夢睡虎地秦簡(秦始皇帝期)《秦律十八種・田律》のような条文がある。曰く、「
春二月、毋敢伐材木山林及雍(壅)隄水。不夏月、毋敢夜草爲灰、取生荔・麛〓(卵)鷇。毋[殺其繩重者。毋]毒魚鱉、置穽罔(網)。到七月而縱之。唯不幸死而伐綰(棺)享(槨)者、是不用時」と。〔拠『睡虎地秦墓竹簡』文物出版社、1990。猶、ほぼ同じ条文が前漢呂后期の張家山漢簡《二年律令・田律》〔『張家山漢墓竹簡』文物出版社、2001〕にも見在し、[ ]内(睡虎地秦簡の欠字部分)はその《二年律令》によって補った。〕因みに情報筋の記事にある「安漢公王」は、或いは「安漢公」ないし「安漢公王莽」の誤りで王莽を指すか。)

【簡訳】春2月は、材木を山林から伐採したり、川の水を阻まぬこと。夏月(4〜6月)でなければ、(肥料用に)草を取って焼いたり、若芽・動物の稚児・ひな鳥を取ったりしないこと。身重(出産前)の鳥や動物を殺さないこと。スッポンや魚を捕るための罠や網を仕掛けないこと(※「毒」字は明解を得ない。ただ《漢書・司馬相如傳上・子虚賦》に「毒冒(たいまい)鱉黿」とある。その張揖注に「毒冒似觜蠵、甲有文。黿似鱉而大」という)。秋7月に至ればこれを解禁する。但し身内の者が死んで棺槨(ひつぎ)を造る場合は、この限りではない。

(7/18改訂)

情報筋

【2002/4/19】 放馬灘出土の木版地図は始皇八年のもの

甘肅省天水放馬灘(ほうばたん)秦墓出土の版図(木版地図)が始皇八年(前239)のものと判明。但し根拠未詳。同墓からは数枚の木版古地図と紙に書かれた地図の残片が出土している。放馬灘版図については、以下の諸報告を参照されたい(※新発見ではありません)。

□甘肅省文物考古研究所「甘肅天水放馬灘戰國秦漢墓群的發掘」
□何雙全「天水放馬灘秦墓出土地圖初探」
□何雙全「天水放馬灘秦簡綜述」(以上、『文物』1989-2)
□曹婉如「有關天水放馬灘秦墓出土地圖的幾個問題」(『文物』1989-12)
□章珊「放馬灘出土地圖的年代問題」(『歴史地理』8、1990)
□張修桂「天水《放馬灘地圖》的繪制年代」(『復旦學報(社會科學)』1991-1)
□張修桂「當前考古所見最早的地圖―天水《放馬灘地圖》研究」(『歴史地理』10、1992)
□徐日輝「"?丘"辨:讀天水《放馬灘秦墓出土簡圖》箚記」(『歴史地理』14、1998)

情報筋

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