中国学工具書提要 過立齋日進譚 工具箱 網路資源 過立齋談話室(BBS) - トップページ  齋主にメールを送信する 当サイトについて
過立齋叢書電子文獻
商君書解題
『商君書』基本解題

『商君書』は一名を『商子』ともいい、戦国時代、秦の孝公の時に大良造(たいりょうぞう)となって変法改革を行った商鞅(しょうおう)の著書とされてきた。その内容は純然たる法家思想で、農業と戦争に重点を置いているのが最大の特徴である。

だがこの『商君書』は、決して商鞅の著作とは言えないばかりか、別々の世代の複数の人物による著作であることが既に判っている。以下にその代表的な証拠を二、三、挙げてみよう。

・冒頭の更法篇に「孝公」の諡が見えること。(孝公が死んで間もなく処断された商鞅が、死後に追贈されるはずの「孝公」という諡(おくりな)を使っているのはおかしい。)

・商鞅死後の人物である烏獲(うかく)の名がみえること。(※烏獲は孝公より二代あとの悼武王の頃の臣。怪力をもって知られた。)

・徠民篇に孝公の孫・昭襄王の代の「長平の戦い」のことが見えること。

現行本は五巻編成(五巻編成となるのは、唐代以降)、《漢志・ゥ子略・法家》に「商君二十九篇」が、《同・兵書略・兵權謀家》に「公孫鞅二十七篇」がそれぞれ著録されており、これらのうち二十四篇が現存する。このほか、篇名のみの「刑約篇」「禦盗篇」(ぎょとうへん)と、『群書治要』中に佚文が収録されている「六法篇」(りっぽうへん)を含めると二十七篇となる。その内訳は次の通り。

巻次 篇名 問題点など (※成立時期は齋主の解釈)
卷一 更法篇 《史記・商君列傳》《新序・善謀篇》にほぼ同文、《戰國策・趙策二》《史記・趙世家》に武靈王胡服騎射論争に仮託した類文がある。成立は戦国末〜漢初。
墾令篇 更法篇篇末の「墾草令」を受ける形。成立は古く、本来の冒頭の篇か。
農戰篇 《史記・商君列傳》賛に、「余嘗讀商君…耕戰書」とある。戦国中期〜後期の作か。
去彊篇 比較的成立が古く、「説民」「弱民」の二篇は去彊篇を解説したもの。
卷二 説民篇 去彊篇後半部分の注釈とされている。成立は少なくとも去彊篇よりも後。
算地篇 地力を活かすことが主眼。徠民篇との関わりが深い。秦の昭襄王期の作か。
開塞篇 《史記・商君列傳》賛に「余嘗讀商君開塞書」とあるも、成立は戦国後期。《淮南子》にも「啓塞」とあり、或いはこれが本来の篇名で、「開塞」は景帝の諱(啓)を避けたものか。
卷三 壹言篇
錯法篇 「離朱」「烏獲」の名があり、弱民、禁使と同一人の作か。成立は少なくとも秦の武王以降。
戰法篇 この三篇は兵法との関わりが深く、成立も古い。《荀子・議兵篇》に「秦之衞鞅、…是皆世俗之所謂善用兵者也」とある。兵守篇の「四戰之國、務在守戰」の句から、三晉との関わりを指摘する説(木村英一氏)もある。
立本篇
兵守篇
?令篇 《韓非子・飭令篇》と酷似し、しばしばその前後関係が議論されている。
修權篇
卷四 徠民篇 「長平之勝」の句有り。昭襄王48年(前259)頃の范雎(はんしょ)の奏議文か。(拙稿準備中)
(刑約篇) 亡。篇名のみ。
賞刑篇 「周公旦」の名が見えるなど、儒家の影響がみられる。戦国後期の成立。
畫策篇
卷五 境内篇 戦国秦の軍功爵制の史料として注目される。成立が古く、原文が著しく乱れている。
弱民篇 去彊篇前半部分の注釈。「離婁」「烏獲」の引用などから、錯法・禁使篇や説民篇と同時の作と思われる。末尾の章が《荀子・議兵篇》と重複する。
(禦盗篇) 亡。「禦盗篇」の篇名は綿眇閣本に見える。
外内篇 《韓非子・南面篇》に「説在商君之内外」とある。
君臣篇
禁使篇 「離婁」「(盗)跖」の名が見える。錯法・弱民両篇と同一人の作か。
愼法篇
定分篇 更法篇以外では唯一「公孫鞅」の名が登場している。内容は極めて具体性に富むが、成立は戦国最晩期〜漢初。
群書治要 六法篇 《群書治要・卷三十六》に収録されている佚篇。更法篇の内容と若干類似する。
 
『商君書』諸本簡介

元刊本(亡) (元刊本)【元】

既に亡びてしまって見ることができないが、後述の嚴萬里(げんばんり)が底本として用いた版本で、嚴校本中の校記によってその体裁を窺うことができる。『商君書』は宋版や日本の古抄本などが全く残っていないため、もしこの元刊本が残っていれば、現存する『商君書』のテキストの中では最古のものになる。

明嘉靖范欽校天一閣刊本 (天一閣本)【天】

明の嘉靖年間に当時の有名な大蔵書家・范欽(はんきん)がその蔵書閣である天一閣で校刊した本。嚴萬里が元刊本を校訂する際に用いた版のひとつ。現在、四部叢刊初編にも影印されていて、手軽に見ることが出来る。

明萬暦秦四麟校刊本(未見) (秦四麟本)【秦】

明の嘉靖年間に大蔵書家・范欽(はんきん)がその蔵書閣である天一閣で校刊した本。嚴萬里が元刊本を校訂する際に用いた版のひとつ。現在、四部叢刊初編にも影印されていて、手軽に見ることが出来る。

明萬暦程榮校漢魏叢書本 (程榮本)【程】

明の程榮が『漢魏叢書』の中に収録した本。やはり萬暦年間の刊。後述の孫星衍(そんせいえん)や朱師轍(しゅしてつ)が校訂の資料として用いている。

清孫星衍校問經堂叢書本(未見) (問經堂本)【孫】

清の孫星衍(そんせいえん)が校刊した本。嚴萬里の校本とは異なる系統の諸本を用いているので参考に値する。

清光緒嚴萬里校浙江書局二十二子本(嚴校本)【嚴】

清の嚴萬里の校本。清の光緒の初めに浙江書局から『二十二子』のひとつとして刊行された。既に亡びた元刊本を底本とし、それを明の天一閣本と秦四麟本で校訂しており、長らく『商君書』中、最善の版とされてきた。なお、去彊・徠民・賞刑の三篇に出てくる「葉校本」がいずれの版なのかは未詳。 (当サイトの『商君書』本文はこの浙江書局本の覆刻本である光緒二十三年新化三味書局校刊本を底本として用いているが、一般には『二十二子』の縮印本か、鈴木一郎氏の『商君書索引』(風間書房)に附載されている浙江書局本の写真版が利用できる。)

清嚴可均校諸子集成本 (諸子集成本)【諸】

『諸子集成』中に収録されている『全上古三代秦漢三國六朝文』で有名な嚴可均の校本。或いは嚴萬里と同一人物なのではないかという説もあるが、両者の関係は不明。テキストとしては、二十二子本と諸子集成本とは若干の異同がある。

清孫星衍校問經堂叢書本(未見) (問經堂本)【孫】

清の孫星衍(そんせいえん)が校刊した本。嚴萬里の校本とは異なる系統の諸本を用いているので参考に値する。

朱師轍『商君書解詁定本』(解詁本)【朱】

『商君書』の草分け的な注釈書。訓詁に優れ、現在でも最もベーシックな注釈書として用いられる。嚴校本を基に、後述の兪?(ゆえつ)や孫詒讓(そんいじょう)の成果も参照しているので、底本として用いるなら、嚴校本か本書を利用するとよいだろう。因みに朱師轍は『説文解字通訓定聲』の朱駿聲の孫に当たる。

陳啓天『商君書校釋』(校釋本)【陳】

陳啓天が『商鞅評傳』を書いた後に刊行した『商君書』の校注本。徠民篇の後半部分を既に亡びたはずの刑約篇にあてるなど異色の体裁を持っている。序文中で陳氏がこれまで類を見ない異本を用いたことについての記載が若干みえるものの、底本に何を用いたのか未詳なのが惜しまれるが、ともかく嚴校本の系統とは全く異なるようである。底本として用いるには問題の多い本だが、注釈としては朱師轍『解詁』をよく補っているので、両者を併用して用いたい。

?禮鴻『商君書錐指』(錐指本)【錐】

中華書局の新編諸子集成に収録されている注釈書。底本には嚴萬里の校本を用いている。商君書最善の注釈書と言っても過言ではなく、嚴校本も朱師轍解詁も見ることができない場合は、入手の容易な本書を用いるとよい。なお、本書巻末の蒙季甫氏の「商君書説民・弱民篇爲解説去彊篇刊正記」は、『商君書』研究者必読の論文である。

高亨『商君書注譯』 (注譯本)【高】

近人・高亨(こうこう)氏の注釈書。『商君書』の本文を分段し、「注」と「譯」(解釈)を分けて提示するなどの配慮がされているが、簡体字本であるところが惜しい。本書はむしろ巻頭巻末の附録が充実していて、そちらの方が有用である。特に巻頭の「商鞅與商君書略論」と「商君書作者考」は必読。巻末の「商君書新箋」は高氏の『諸子新箋』にも収録されている。

賀凌虚『商君書今註今譯』 (今註今譯本)【賀】

これも近人の賀凌虚(がりょうきょ)氏の注釈書。台湾商務印書館の「古籍今註今譯」のシリーズの一冊として十年ほど前に出版された。最近の注釈書としては珍しく、陳啓天の『校釋』を底本にしている。但し、先述の徠民篇と刑約篇などのような体裁上の問題は全て通行本通りに改められているので、特別警戒する必要はない。巻末の「商君書的探析」は、商君書の成立・流伝・沿革・真偽問題について分析している。

小柳司氣太『商子』 (國譯漢文大成本)【國】

國譯漢文大成のひとつとして刊行された最初の『商君書』の邦訳。原文、訓読文と簡単な注釈で構成されている。底本は嚴萬里校本。これを百子全書本(当解題では割愛)と程榮『漢魏叢書』の和刻本、更には兪?(ゆえつ)『諸子平議』や孫詒讓(そんいじょう)『札?』(さつい)などと校合している。

清水潔『商子』 (中国古典新書本)【清】

明徳出版社の中国古典新書の一冊。このシリーズの多くの訳本と同様、この『商子』も抄訳である。底本は特に明記されていないが、恐らくは嚴校本であろう。各段の訳文の末尾に段落の要旨と訳者の短い感想が付け加えられているが、所々「あとがき」でも触れられている学園紛争の世相が反映されていて面白い。巻頭の解説は、今となっては内容が古くなってしまったが、初めて『商君書』を扱う者には程良いボリュームかもしれない。

好並隆司『商君書研究』 (好並本)【好】

邦人の『商君書』の研究としては、量的に最もまとまった著作である。好並氏は漢代の諸制度の源流としての商君変法を見据え、その研究の基礎作業として本書に『商君書』の訳注を載せている。『商君書』の篇次と配列が異なるが、相互に関連の深い篇同士をまとめて論じているので、各篇の問題点がかえって見やすい。しかし考証に問題を含む箇所もあり、利用には注意を要する。


制作・著作:秋山 陽一郎
All Rights Reserved to Y.Akiyama since 2000.